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838鞍目 手綱は緩めない

 2010-10-03(Sun) 通算838鞍目
■野外で過ごすのにちょうどいい天気。
ふと路傍を見遣ると、赤みを残したすすきの穂がようやく伸びてきたところ。
曼珠沙華の花も今頃になって咲いている。
草木の時期が半月ほど遅れているようだ。

■今日で夏休みも終わり。
今後、ぎっしり仕事の詰まった毎日のなかで倶楽部に通えるのか不安になる。
乗馬クラブのスタッフには、騎乗馬を選びレッスン用にコンディションを整えておく苦労があるようだ。
いつ来るかわからない人のためには用意ができない。
ちゃんと定期的に通うからこそ、人間のレッスン進度と馬のコンディションをあわせられる。
「あなたに合う馬がうちでは用意できないから」と倶楽部の入会希望者に先生が済まなさそうに断る時もあると聞く。
うわ〜ん、サボりすぎると「もちぇさんが乗れる馬はいないよ」と言われてしまうかも。

■「今日は【エルパソ】ね」
おお、彼に乗せてもらえるのは光栄の至り。
「広い馬場では速歩までね」「駈歩は丸馬場でやりましょう」
「輪線運動を多くやって」「馬場の入り口側にはあまり近づかないで」
ここまで言われると、時々驚いて走り出すエピソードを思い出さざるを得ない。
『馬は人間の操作に100%従ってくれるものだ』という幻想を持つのは危険。
馬と常に会話する、自分の扶助に馬がどう反応したのかに注意を払うことが重要だ。
■【エルパソ】は並歩、速歩ともいい子でいてくれる。
が、入り口側に近づくとつつつ…と埒からはなれていく。
「こっち側はそんなに怪しいものがあるんかい?」
先生は輪乗りや直線、手前を換えなど頻繁に運動の種類を変える指示を出す。
「きれいな円がかけるように4分の1先の目標を常に見ながら馬を動かしていって」
馬がよれてしまってから慌てるのではなく、次の行き先を考えながら微調整なのだ。
■停止から並足を出す時に、握った手の中からするすると手綱が伸びていくのを見て
「ほら、そこで手綱を伸ばさない!」と先生の声が飛ぶ。
馬が首を伸ばすのに合わせて無意識に手綱を伸ばしている私。
「いいかい、親指と人差し指でしっかり手綱を持っているんだよ」
「そうやって手綱を緩めるから馬が勝手な方向に行こうとするんだ」
常に手綱でコンタクト。
馬の重さを常に感じられるように。
■「ハイそこで停止」「4歩後退」「すぐ並足で前に出す」
ああ、コンタクトが一定じゃないとできないんだよなあ。
後退って過去に1回しかやったことないんだけど… と思いながらも
脚をほんの少し後ろにずらすだけでトントントントンと後退してくれる【エルパソ】
うっそ〜、こんなにわずかな合図で通じるの?
並足の方向が斜めにずれる。
「脚が左右同じに使えていないと馬がよれるよ」
「馬の動きをみて自分で調整してみて」
はいはい、了解。
「急にドンと合図しないんだよ」
「すっとずらしてちょんと合図すれば通じるから」
もぞっと動いただけなのにちゃんと後退も前進もしてくれる馬。
【エルパソ】がこんなわずかな動きでわかってくれるのに、
私ったら、どかどか蹴ったり押したり引っ張ったり…
ああ、神様【エルパソ】様お許しください。
■「じゃあ駈歩は丸馬場で」
うう、駈歩出せば内側に入ってきてしまう。
「ほら、内方脚で押し出して」「外側の手綱を開いて」
いつもスミマセンねえ、得意の右肩から逃げる体勢をさせてしまってます。
馬自体は素直で、押せば外に行くし、
人の肩や肘が前に出過ぎないように気をつけて外方手綱を張れば膨らまない。
正しい扶助をすれば正しく動くんだからと教えてくれるのだ。
■「後は自由に」「終わりにしてもいいし、また続けてもいいよ」と言われたところで
あともう1回と欲が出る。
すんなり駈歩もでるし、維持もできる。
しかし、天上の乗り心地には今ひとつ。
重心が前後ろと揺れて不安定。座骨が鞍に着いたり離れたり。
こういう乗り心地の時は、上体が揺れたり拳が回ったりして
「漕ぐな!」って注意されるのがオチ。
自分で漕いでいるわけでなく、漕がざるを得ないのが真相なのだが。
もっと馬を前に出すか? 
それともあえて動かないようにぐっと固まるか??
「もちぇさん、拳を馬に合わせて動かさないで」と見かねた先生がアドバイス。
「肘を伸ばさない」「ぐっと持って!」「楽(らく)しない !!」
怖いけれど、拳にかかる力(手綱の張力)をもう2段階ほど強く持つ。
身体がもって行かれないようおへそを中心に意識する。
うえっ、一瞬馬が潜ったような感じになって手綱にかかる力が生々しくなる。
馬の口の中を直接持っているような生々しさとしか表現しようがない。
舌で押し出してハミを銜え換える感じとか、左側の口角の力を抜いた感じとか。
「そう、それでいい」「わかった?」と先生の声。
前後に揺れたり鞍から離れたりする感じはなくなって、
丸めた背中の頂点に座ってぴたりと安定。
「馬に合わせて手綱を緩めるから、かえって馬がどこに頼ろうかわからなくなる」
「ぐっと持っていれば馬の方からそのハミを受けてくれるから」
いつもは乗り心地の快さに感動して幸福感を味わうのだが、
今日は手綱の生々しさにかえってドギマギ。
私一人で馬と向き合う勇気が出るんだろうか? 
生き物に乗っていたことに今更ながら気がついた。

■馬がハミをうけてくれるって、なにか一線を越えた生々しさがある。
人も馬もお互い生身で勝負ってところ。
「今日はいい子だった」とか「ものすごく気持ちよく走ってくれた」と単純に幸福感に浸れない。
ちょっと奇妙な気分なのだ。








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コメント 2

バロン信之介

読み応えのある記事に脱帽です。
ハミのことを、これほど詳細に、生々しく表現した文章に、かつて出会ったことがないです。こんな表現は、経験した人にしか書けません。私も、それに近いものを感じては失い・・を繰り返しています。 SUPERです。 
by バロン信之介 (2010-10-08 13:28) 

もちぇ

男爵閣下、お久しぶりです。
表現をほめていただけるなんて、ちょっと恥ずかしいです。
ハミを通したつながりは、気を抜けばスカスカになるし、得ては失い、明日はどうなるかわからない魔性の感覚ですよね。
生き物を相手にしているのだと痛感します。
閣下も、騎乗機会を大事になさって愛馬とお過ごしください。
ご活躍を祈っております。


by もちぇ (2010-10-09 23:58) 

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